遊慈のEasy Life

『不如帰』天下統一への道-その六

 先週末は、友達の結婚式に行ってきました。いや、心が洗われる思いですな。

 更新が滞っていて申し訳無いですが、今月まではかなりカツカツな感じです。極魂も超像可動のコもゲットしたのに、未だに開封すら出来ていないです。
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 さて、そんな忙しい中お送りするのは、不如帰の攻略レビューです(笑)。玩具と違って、ゲームをしたり本を読んだりは、まとめて時間が取られなくて良いですな。

 さて、本日のプレイ大名は、知らない人はいませんね。「東海一の弓取り」と謳われた天下人、徳川家康です。『三方ヶ原の戦い』にて、馬上で脱○した事は伏せておこう(笑)。



 さて、家康自身の元々の能力は『作6・戦5・政6』と、不如帰でもベスト5に入るくらい優秀です。スタート時は実質13歳なのですが、そんなの気にしないのが不如帰テイスト。

 とは言え、相変わらずの数値10なので、作3・戦0・政7に振り分けました。三河では籠城戦が濃厚なので、作5・戦0・政5のバランス型とも迷ったんですけどね。

 家康自身が、「宝は家臣」と誇った通り、その家臣団はかなり優秀で、

本多正信=作2・戦0・政5。家康股肱の臣。家康の死を追う様に世を去った、真の忠臣。
本多忠勝=作3・戦6・政2。家康に過ぎたる物二ツの内の一ツ。天下一双の勇士。
井伊直政=作3・戦5・政2。「武田の赤備え」の継承者。桜田門外の被害者は彼の子孫。
榊原康政=作3・戦5・政2。徳川四天王の一人。実は内政にも手腕を発揮してたり。

 と、北条氏康が見たら、歯ぎしりして悔しがるであろう位に優秀な人物が揃っています。

 気になるのは、酒井忠次が居ない事ですかな。どうせ徳川四天王が揃わないなら、服部半蔵とか入れても面白かったと思うのですが。

 後は、本多忠勝の評価が少し低いような。作戦の数値は、4か5は欲しかったかも。彼は戦場でかすり傷一つ負わなかったのに、運が22(最高30)とコレも少し低めな感が。

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 さて、ゲームプレイの本題の方に。シミュレーションゲームの基本として、「まずは弱い所を攻める!」と言う不文律があります。不如帰とて、もちろんその限りです。

 南は海なので論外として、北には蝮の道三、西には覇王信長、東には海道一の弓取り今川義元、甲斐の虎・武田信玄が…俺が最弱だ。もう、海に向かって身を投げよう(笑)。

 とまぁ、そんな訳にはいかないので、とりあえず初年に今川家からの従属から逃れます。

 とち狂った義元は早速攻めて来ますが、籠城戦(主に兵糧攻め)対策に特化した我が軍には、今川勢の兵糧攻め(義元、政治4)など、苦にもなりません。

 今川勢を退け、年末に初の家臣登用…羽柴秀吉(作4・戦2・政7)が仕官してきました。コレならやっぱり家康の数値は、作5・戦0・政5のバランス型で良かったですわ。

 しかしそんな事で落ち込んではいられないので、出来るだけ兵力を増強し、兵力が多いだけで蹴鞠が得意な家臣しかいない今川家を標的に、戦いを仕掛けて行きます。

 そして紆余曲折を経て、1566年ようやく駿河制圧に成功しました。これで石高は38万石から、一気に3倍強の140万石にアップです!

 この駿河制圧までには実に色んな事があり、井伊直政&榊原康政は相次いで討死。代わりに恒例の真田昌幸(作6・戦6・政5)をゲット。更に、信長との同盟に成功しました。

 140万石になった事だし、一気に勢力を伸ばすと意気込んだのも束の間。北条氏の小田原城に阻まれ、事態は何一つ好転しておりませんでした…。

 このまま「鳴くまで待つか」とのんびりしていた矢先、早速鳴き始めました。上洛を目指した信玄が、美濃&伊勢を攻略。その勢力ラインが、横に伸びきってしまっていたのです!

 この天の時を逃さず、甲斐の国を任されていた勝頼を力攻めにて攻略。何と子守役(?)の山県昌景を引き連れ、武田軍団から去って行きました!

 …とは言え、甲斐を攻略したのは1579年なんですけどね。恐るべし武田軍団。その後何やかんやで上洛した武田信玄を討ち取ったのは、1590年でした…流石、我が軍法の師。

 この間の戦いで本多正信が城から逃亡してしまい、一時期は家康・忠勝・秀吉・昌幸の4人体勢に。この苦境を救ったのが、初仕官になる加藤清正(作3・戦7・政5)でした!

 戦闘力7は初ゲットだったので(他の2人は大名)、先鋒にてブイブイ言わせましたよ。

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 更にその後の島津との決戦で、本多忠勝が討ち死に!運勢22は、やっぱり低かったようです。その後も良い家臣はゲット出来ず、結局家臣は3人のみで進める事になりました。

 史実なら関ヶ原があった1600年に島津を討伐して、ようやく西日本を完全制圧。

 後は小田原城より東の地域を、一気に制圧するだけです。ちなみにこの頃の第一勢力は「鬼義重」を擁する佐竹家で、関東~東北の6つを股にかけていました。

 その後、討伐と降伏勧告をくり返し、1605年ようやく全国を統一しました。史実の徳川家康に遅れる事5年で、ちょっと悔しかったです。またその内、リベンジしようかしら。

 やっぱり、初めから優秀な家臣団が居ると言うのは大きいと思います。一番北の大名なんか、家臣は居ないし石高は低いし、接している国は中堅クラスだし、もう…。

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○まとめ
・1605年統→2年後幕府開く→254年幕府続く(西暦1861年まで)
・最終的な家臣団
 羽柴秀吉(作4・戦2・政7)、真田昌幸(作6・戦6・政5)、加藤清正(作3・戦7・政5)
 全然、徳川色が無いですね。「宝は家臣」なのに…。

○蛇足
・嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空
・先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ
・家康が天下を取れた要因として、「長寿(75歳)だった」と言うのが挙げられますが、コレは『健康オタク』だったと言う事と無関係では無いと思います。いつの世も、健康第一ですな。
・肥満のイメージの為にあまり知られていない事ですが、家康は武術の達人でもあります。剣術や馬術は元より、弓術や泳術にも長けていたようです。

 ちなみに家康は、明治維新後はかなり評判が悪かったようです。コレは、「明治政府が徳川幕府を倒したのは、正義の為だ!」と言う、プロパガンダの為ですね。

 実は私、徳川家康はあまり好きではありません。人物としてはもちろん『第一等の大物』だとは思うのですが…。私の家康嫌いの理由は、多分故司馬遼太郎の影響かと。

 司馬氏は家康について書いた小説、『覇王の家』のあとがきで、家康が築いた江戸時代については「功罪半ばする」とし、「日本民族的な性格が矮小化され、奇形化された」と言っています。まぁ要は、「何を鎖国してくれてるねん」てな事だと思います。

 信長が天下を取ったり、秀吉の天下が続いていれば、今の日本はもっと…?

 でも、コレだと幕末の英雄達の出現も危ぶまれますし、歴史の「たら」「れば」は、想像の範疇で楽しむのが一番かも知れませんね。
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by nekonekokoara | 2010-05-26 22:00 | 歴史小説
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