遊慈のEasy Life

『不如帰』天下統一への道-その三十四

 本日のプレイ大名は、播磨の名門「赤松氏」の流れを汲む『別所長治』。不本意ながらも、秀吉の「三木の干し殺し」を受けた側の人物として有名ですね。

 長治は、故・司馬遼太郎氏の「雑賀の舟鉄砲」にも取り上げられ、そこでは気品の漂う、家臣や領民思いの大名(侍大将)として描かれていた様に記憶しております。
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 そんな長治の能力は、不如帰中では(作4・戦2・政3)に設定されております。

 悪名高き(?)同じ中国地方の梟雄・宇喜多直家が(作3・戦1・政4)ですから、これは秀吉の城攻めを、20ヶ月間退けた三木の籠城戦を踏まえての高評価だと思われます。

 長治は享年23(または26)歳なので、色々と評価しにくい人物ではありますね。ゲームプレイ時は、(作5・戦0・政5)に設定。まぁ、定番の設定値と言うことで。



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 まずは、攻略初めとして、丹波の波多野家に狙いをつけます。

 史実では、長治の奥様・照子は波多野家の一族なのですが、不如帰中では何故か同盟関係では無いので、遠慮なく攻め込んでいきます(笑)。 

 とは言え、開始時は波多野家の方が兵力が多い+大名の政治力3+城塞値も意外と高く21あるので、落城させたのは1557年の事でした。

 これだけ苦労して、増えた石高は最高で34万石ですからねぇ…何か損した気分。

 実は、波多野家攻略中の1556年には既に真田昌幸(作6・戦6・政5)を家臣にしており、更に1558年には明智光秀(作4・戦5・政6)を家臣に加えました。

 これで、戦闘+兵糧攻めを、全て家臣団に任せる事も可能になりました。

 中国地方は強豪も少ないので、光秀を総大将&昌幸を先鋒に、1559年に続けて但馬64万石(山名家)~出雲68万石(尼子家)と攻略。

 翌1560年には黒田如水(作7・戦2・政5)を家臣に加え防衛を盤石にしつつ、政治力4の宇喜多家に攻略開始。城塞値が低い事もあり、1561年に備前90万石を手に入れました。

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 これで総計300万石以上になったとは言え、毛利家の相手の攻城戦はキツいし、長門を落としても防衛しにくいので、矛先を近畿方面に向ける事にしました。

 戦略としては、大名の長治を出雲~備前の防衛ラインに置き、残りの家臣団で城塞値58の摂津に数年がかりで兵糧攻めを仕掛けていきます。

 本願寺攻めの最中は兵力もほとんど減らないので、この間に資金の充実、更に家臣団に稲葉一鉄(作4・戦4・政3)と荒木村重(作3・戦4・政4)を加えました。

 一鉄は何故かアッサリと斎藤家から寝返り、村重は三木城の防衛で共同戦線を張った間柄と言う事で、仕官してきたところを喜んで迎え入れました。

 家臣団もフルになった翌1564年に摂津を落城。更にその余勢を駆って、同年山城に別所家の旗印を掲げる事に成功致しました。

 更に、和泉~越前~大和~紀伊~伊勢~近江~加賀と、近畿・北陸間を順調に攻略。

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  ここでようやく、残しておいた中国地方の攻略に向け、軍団を転進させます。

 形としては、能登まで勢力を伸ばした上杉家の防衛に、作戦5の長治を置き、道三の防衛の為に、近江~伊勢間に作戦能力高めで因縁もある一鉄を置きました。

 和泉の防衛は、四国に強豪も現れていないと言うこともあり流れに任せ、作戦7の如水を筆頭に、1573年毛利家の安芸&大内家の長門を攻略致しました。

 更に、大友家を伊予に追い出して豊後の国主となっていた龍造寺家を攻略。

 島津家含め、特に大きな勢力も現れなかった九州~四国地方を1576年に完全に傘下に収め、この年近畿から西を全て統一する事が出来ました。

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 こうなると、後は東方面に全軍団を向ければ、自然に攻略は成っていきます。

 勢力としては、武田&北条家が共に三ヶ国だったのですが、このタイミングで氏政が何故か下克上を起こし、勝手に自滅への道を進み始めました。

 武田家も強力ですが、その勢力図が宿敵上杉を落とした越後&北信濃&本国甲斐だったので、非常に守りにくい状態となっていたのが運のツキ。

 1578年、甲斐に全軍団を集中させて攻めると、4人の家臣を逃亡させる事に成功。武田家の挟み撃ちも、少ない家臣では意味を成しませんね。

 後は、ジワジワと他国を追いつめ、1582年に天下を統一する事が出来ました。今回はいつもと違い、一鉄や村重を使ったのが新鮮で面白かったですね。

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○まとめ
・1582年統一→2年後幕府開く→344年幕府続く(西暦1928年まで)
・最終的な家臣団
 真田昌幸(作6・戦6・政5)、明智光秀(作4・戦5・政6)、黒田如水(作7・戦2・政5)
 稲葉一鉄(作4・戦4・政3)、荒木村重(作3・戦4・政4)

○蛇足
・元々織田家に従属していた別所家が信長に背いた理由は諸説あるみたいです。
・その中でも一般的なものが、赤松氏の一族と言う別所家の名門意識が、成り上がり者である中国地方攻略の指揮官・秀吉との対立を招いた(加古川評定)と言うものです。
・これには長治本人も不満を抱いていたようですが、叔父である別所吉親(加古川評定にもあたった)の影響力が最も大きかったとされる。
・そのまま織田家(秀吉)に従っていたら、別所家の家運は全く別のモノになっていたでしょうね。とは言え、三木の籠城が無かったら、毛利攻めもかなり有利に進められたでしょうが。

・ちなみに、「三木」と言う姓は兵庫県にしかないので、三木さんに出身地を訪ねると、必ず「兵庫」となるそうです。(もしくは、その親などが兵庫の出身)
・更に、「私の先祖はかの有名な三木の籠城戦にも参加し~」と始まるそうですが、実際籠城戦に参加した「三木」と言う人物はいないそうです。
・これは、明治に入って全ての国民の名字を定める際に、播磨近辺の人が有名な「三木の干し殺し」から名前を拝借したからだそうです。
・この話を聞いて、播磨の領民に慕われていた別所家(長治・照子夫妻)の別の一面を窺わせると感じるのは、私だけではないと思います(←司馬氏の受け売り)。

●長治&照子(享年15歳)の辞世の句
・今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば(長治)
・もろともに 消えはつるこそ 嬉しけれ 後れ先立つ 習ひなる世に(照子)

 私には句の善し悪しは全く分からないのですが、この句には二人の人柄が滲み出ているようで、個人的にはとても好感を持っています。
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by nekonekokoara | 2011-09-28 18:00 | 歴史小説
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