遊慈のEasy Life

『不如帰』天下統一への道-その三十七

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 さて、本日のプレイ大名は、出雲の『尼子晴久』です。戦国好きが「尼子」と聞いてまず思いつくのは、むしろ家臣の『山中鹿介』ですかね。願わくば、我に七難八苦を与え給え!



 尼子家は何と言っても、晴久の祖父・経久が『謀聖』と呼ばれる超有名人。

 晴久は、謀略ではなく直接的な軍事行動を活発に行っていましたが(内政にもよく従事)、経久が残した『負の遺産』を払拭するには至りませんでしたね。

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 八ヶ国の守護職(もしくは十一州の太守)と言われる尼子家には逸材も多かったですが、不如帰中では「たこ うえもん(作2・戦2・政2)」が有名でしょうか。

 多胡辰敬(ときたか・たっけい)が何故「うえもん」になったかはよく解りませんが、『多胡辰敬家訓』の「命は軽く、名は重い」は、多くの人が耳にした事があると思います。

 その他には、初期の家臣にも居る「山中幸盛(鹿介)」の名が挙げられますが、こちらも不如帰中の評価は(作2・戦2・政2)とかなり低めの評価です。

 「山陰の麒麟児」と武勇を謳われた猛将なので、戦闘は4~5でも良かったんだけどなぁ。

 ちなみに、大名晴久の評価も(作2・戦2・政2)と、晴久の子・勝久の代のヘタレぶりが災いしているのか、不如帰中での尼子家は徹底して無能扱いされております。

 光栄の「信長の野望」では、上杉家など大物大名のプレイが飽きると、そこそこ能力のある晴久+武勇の誉れ高い鹿介が居る尼子家は、結構使ったんですけどねぇ(笑)。

 ゲームプレイではそんな晴久の無念を晴らすべく、(作5・戦0・政5)に設定しました。

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 今回の攻略プレイとしては、まずは長門の宿敵・大内家の攻略から入ります。

 大内家は初期兵力こそ多いですが、その大半を家臣の陶晴賢(作2・戦4・政3)が持っていて、大名(総大将)の中央部隊さえ潰せば、野戦の勝利は事足りるからです。

 その上、最高石高も98万石と豊かで、大名の政治力0&城塞値12となれば尚更です。と言う訳で、1555年に長門をアッサリと落とし、一気に歴史を覆しました(笑)。

 更に!なんと真田昌幸(作6・戦6・政5)が、俸禄5で仕官して来る幸運ぶり!う~ん…正直、山中幸盛(鹿介)はもう要らないのですけども(笑)。

 勢いに乗り次に狙いをつけたのは、但馬の山名家です。九州の大友家は強大&豊後を取っても守りにくいですし、大名の政治力の高い毛利家&宇喜多家は厄介ですので。

 こちらは城塞値18とまずまず高いので、1556~57年に掛けてコツコツと侵攻。

 この最中、ヒマ潰しに毛利家に寝返りのちょっかいを掛けていると…これまた何と、小早川隆景(作5・戦3・政6)が家臣に!毛利家の弱体も図れ、正に一石二鳥でした。

 政治力6の隆景が家臣になったので、宇喜多直家(作3・戦1・政4)への兵糧攻めも順調に進み、コレを1559年に攻略。翌1560~61年に掛けて、播磨と丹波を手中にしました。

 この間には引き抜きで、籠城マスターこと竹中半兵衛(作7・戦2・政5)を家臣に加えたので(半兵衛の寝返りは苦労しました)、毛利家や大友家への備えとして出雲に配置。

 見ると越前が落城寸前だったので、1562年に朝倉家を討伐。この年の軍備では出来るだけの兵力を雇い、翌年の安芸・毛利家への攻略に備えます。

 晴久を近畿地方への抑えにまわし、半兵衛を総大将に、幸盛、昌幸、隆景の各将に25ずつの兵力を与え安芸を力攻め!コレを一気に落とし、1563年に中国地方攻略を完了です。

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 翌1564年からは、近畿地方の攻略に。

 同年、羽柴秀吉(作4・戦2・政7)を家臣に加え、更なる政治力の充実を図る事が出来ました。幸盛はアレですが(笑)、籠城戦には事欠かない感じです。

 しかしここまで来ると幸盛にも愛着が湧いてきたので、天下統一を一緒に迎えたくなるモノです。と言う事で、長門の城塞値を充分に上げ、大友家への抑えになってもらいました。

 その間に、北陸地方は加賀まで攻略し、ここを晴久に守ってもらいます。残りの優秀な家臣団で近畿は危なげなく攻略し(1569年)、続いて四国地方にも侵攻&攻略(1572年)。

 1573~74年に掛けて、九州の精兵(島津・龍造寺)と戦っていると、中部地方で3ヶ国を治めていた斎藤道三が義龍の下克上で討ち死に。この後の展開を楽にさせてくれました。

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 1574年に西日本は完全に抑え、翌1575年には大道三を失った美濃をアッサリと攻略。後はいつも通り侵攻と降伏を加えつつ、1579年に天下を統一する事が出来ました。

 今回は、あまり良い評価をされてない幸盛を残したり、隆景がゲーム序盤から使えたりしたので、いつもと違うプレイでかなり楽しめましたね。

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○まとめ
・1579年統一→2年後幕府開く→356年幕府続く(西暦1937年まで)
・最終的な家臣団
 山中幸盛(作2・戦2・政2)、真田昌幸(作6・戦6・政5)、小早川隆景(作5・戦3・政6)
 竹中半兵衛(作7・戦2・政5)、羽柴秀吉(作4・戦2・政7)

○蛇足
・真田ほど有名ではありませんが、「尼子十勇士」と言うモノがあります。ま、後生の創作でしょうけど。名前も、井筒女之介がオネエだとか、どこかダジャレじみたモノが多いですし。
・『雲陽軍実記』では、「晴久は短慮で大将の器に乏しく、血気にはやって仁義に欠けている」と評された、と記されている。
・晴久は、祖父経久の残した『負の遺産』を払拭すべく、「新宮党の粛清」や「中央集権化」に取り組んだ。
・また、本国出雲の統治改革(奉行衆を用いた直轄政策)を行い、石見銀山の開発を進めるなど、内政面の手腕の高さも窺える。
・これらの政策の成果が出る前に急死しなければ(脳溢血?)、尼子家の家運は大きく変わっていたかも知れませんね。
・尼子家が世に出たきっかけは祖父の経久が作ったとしても、最大の版図を手に出来たのは晴久によるモノなので、もっと評価されても良い人物かと思います。
・祖父経久は、毛利元就や宇喜多直家と並ぶ謀略の天才と言われ、『中国の三大謀将』とも称される。「謀聖」「謀将」「雲州の狼」などの異名がある。
・「秋上は 富高らかに 相かして 思うことなく 長生きせん」とは、晴久が秋上氏・富氏・財氏との和解を喜んで詠んだ和歌なのですが、何故か経久が詠んだとされてきた。
・しかもその和歌が、「人徳の将である経久らしい」と絶賛されていた不幸っぷり(笑)。

○蛇足の蛇足
・ちなみに、経久の残した『負の遺産』とは、
  「大内氏との軋轢、毛利元就の離反と台頭」
  「尼子本家と同勢力を誇る新宮党の存在」
  「国人衆との不和」(武田信玄などは、国人衆をよく従わせていた)
                                と言うところかなぁ。
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by nekonekokoara | 2011-11-05 18:00 | 歴史小説
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