『不如帰』天下統一への道-その二十八
さて本日のプレイ大名は、前回の一向蓮悟とは違って、超有名人(?)な北条氏康です。うん、ウチの嫁には「誰それ?」って言われましたけどね。
とは言え、「越後の龍」「甲斐の虎」ほど有名ではないので、『相模の獅子』と聞いてもまだまだピンとこない人の方が多いでしょうね~。 ------------------------------------- 氏康は文武兼備の完璧超人なので、能力値は(作6・戦4・政6)とかなり高め。居城の小田原城に籠もられると、正に手も足も出ない状態になります。 しかし、不如帰の上限能力は計10なので、設定は(作3・戦0・政7)としました。 武蔵周辺には、里見&佐竹&宇都宮と政治力4の大名が多いですし、城塞値60を誇る小田原城なら力攻めはむしろ万々歳ですから。 ちなみに、北条家は不如帰開始前年となる1554年に「甲相駿三国同盟」を締結しているので、武田&今川との関係は良好なモノになっております。 ------------------------------------- 北条家の家臣団は3人居るのですが… ・北条氏政(作1・戦2・政1)北条家四代目。家を潰した為か、後世の評価は低め。 ・北条氏照(作2・戦3・政2)氏政の弟。家中随一の戦上手。氏政と共に切腹。 ・北条綱成(作2・戦4・政3)氏康の義弟。河越夜戦などで活躍。地黄八幡と謳われる。 …と、一族だけの構成ですが、毛利家と比べると粒が小さい感じですね。 氏政は暗愚な大名として扱われていましたが、最近は特に内政面に手腕を発揮していたと再評価されているようです。個人的には、政治は3~4ですかね。 氏照も(作戦3・戦闘4)、綱成(作戦3~4・戦闘5)くらいでも良かったかな、と。まぁ、初めは頭数が多いだけでも有利なので(経略時など)、無問題ですけどね。 そう言えば氏康は、不如帰中で家臣にさせやすい大名の一人になると思います。 前述通り小田原城は難攻不落なので、東から攻めると「経略で石高を減らして武蔵に閉じ込め降伏させる」が常套手段になりますからね。 後は「謀反の気配を察して取り潰す」事が出来れば、スーパー武将の誕生です! 同じく家臣にしやすい家康(開始時に降伏しているので)と並べて戦場を駆けさせ、天下統一後には一緒に盃を酌み交わしたいモノですなぁ。 ------------------------------------- さて、メジャーゆえに余談が長くなりましたが、ようやく攻略プレイをば。 武蔵に隣接する国で一番最弱なのは北信濃の村上なのですが、地形&石高的に獲るメリットがあまり無いので、まずは上野の長野家を狙います。 大名の業正は戦闘関連の数値こそ高いモノの、政治は1と低いのも狙い目です。 兵力が大きく上回る当家相手に野戦も避けたので兵糧攻めを仕掛けていると、途中で上杉家の助力もあり(笑)、開始年に石高70万石の上野を手中に出来ました! 更に村上家が武田家によって弱体化していたので、翌1556年には北信濃も併合。「尻馬に乗る勢い」とは、正にこの事ですなぁ。(←日本語メチャクチャだろ) ここで北信濃には氏政を配して、落城&逃亡を狙います。だって、要らないんだもん。 更に翌年には、宇都宮を落とす事にも成功し、宿敵里見家との決戦に臨みます。 里見家は流石に一筋縄ではいかないので、1558年に佐竹家に仕えていた黒田如水(作7・戦2・政5)を、続けて斉藤利三(作5・戦4・政3)を登用。 これで家臣団はフルになったので、北信濃の落城が待ち遠しい状態に(笑)。 ------------------------------------- そのあと勢いに乗って、1559年里見家を攻略。続けてこれまた中堅大名の佐竹家を攻めていると…「うじまさ しゅっぽん!」不穏な空気を感じたらしいです。 コレで、もはや北信濃を捨て石にする必要も無くなったので、武蔵&上野&北信濃ラインには如水を置いて、防衛ラインを万全のモノにします。 佐竹家を獲りながら、ここで真田昌幸(作6・戦6・政5)を獲得。今一つ戦力不足だった家臣団に、しっかりとした核が加わる事に。 まだまだ武田軍とはケンカ出来る状態では無いので、多少は雪で足止めされてしまいますが、東北&北陸の攻略に向かう事にします。 南陸奥を攻略しながら(1563年)越後に経略を掛け石高を減らし、上杉軍を野戦の出来ない状態に。それでも春日山城は堅固で、1566年にようやく陥落させました。 本来なら、ここで出羽&陸前を目指すのが正攻法だと思いますが、東北地方の兵糧攻めは効率が悪いので、北陸から中央を目指す事にしました。 ------------------------------------- 先程の武蔵&上野ラインには氏照を置き、越後&南陸奥ラインに如水を置いて、残りの兵力で能登攻略に向かいます。 この辺りに来ると家臣団も兵力も充実してくるので、能登&加賀間をさほど苦労する事もなく、1568~69年に立て続けに攻略。 1570年には越前に籠城した朝倉義景を力攻めにて捕らえ、但馬&播磨をも手中にする事が出来ました。う~ん、ちょっと守りにくいですね。 なので、中国地方はあまり気にせず、1571年山城&和泉を降し、政権&火力を我が武器に。この間、やっぱり但馬は獲られちゃいました。 翌1572年には全軍を北に返して、出羽&陸前&陸奥を一気に奪いました。更にこの年山城は奪われましたが、もう「太政大臣」なので無問題です。(笑)。 ------------------------------------- 実はこの時武田信玄は5ヶ国(甲斐・三河・尾張・伊勢・近江)を治めており、かなりの強豪国に成長しておりました。しかしまぁ、何と効率の悪い獲り方ですかね。 北陸から行っても関東から行っても、既に武田軍との決戦は避けられないので、徴兵をしての大兵力で一気に戦の帰趨を決めてしまおうと思います。 武田軍は甲斐に武将4人が集中していたので、近江に戦を仕掛けると、城塞値26に油断したのか籠城!何と、初戦で信玄の首級を上げる事に成功しました! しかし父を獲られた勝頼は、直ぐさまそのターンで北信濃を攻撃。氏照の必死の防戦も空しく、北信濃は落城。さようなら、氏照(笑)。 そしてすぐその後の政略にて島左近(作5・戦4・政4)をゲット。心情的に綱成は残しておきたいので、コレで家臣団も盤石の体制になりました。 実は、近江攻めはギリギリの兵力で遂行したので、この後は防衛に努め激動の1573年は終了。今までのプレイの中でも、かなり内容の濃い1年(実質半年)でした。 ------------------------------------- 兵力を回復させた翌1574年には、勝頼攻めを開始。本国甲斐を落とすと北信濃に退却したので、コレも落とし勝頼を捕らえました。 しかし、三河方面にはまだ一人「小笠原長時」が残っており、一気に武田家の領地を奪う事は出来ませんでした。残念。 コツコツと中部~近畿地方に勢力を伸ばしつつ、1578年には安芸~豊後~讃岐まで7ヶ国を制してきた毛利元就を征伐。翌1579年には東日本を完全に統一。 この間には長宗我部家を取り潰す事も出来たので、家臣にしてみたかったですね。 1580年に、3ヶ国残った島津家を攻略して、今回の天下統一は終了。島津家の戦陣に居た氏政は、どんな気持ちで三つ鱗の馬印を見上げたのでしょうかね。 ------------------------------------- ○まとめ ・1580年統一→2年後幕府開く→354年幕府続く(西暦1936年まで) ・最終的な家臣団 北条綱成(作2・戦4・政3)、黒田如水(作7・戦2・政5)、斉藤利三(作5・戦4・政3) 真田昌幸(作6・戦6・政5)、島 左近(作5・戦4・政4) ○蛇足 ・「旗立てし昔を松も知るらめや風に靡かぬ草も木もなき」 ・歌を詠めば、著名な歌人をも感心させるほどの文化人。 ・「河越夜戦」は、毛利元就の「厳島の戦い」、織田信長の「桶狭間の戦い」と並んで、『戦国三大奇襲作戦』とされている。 ・幼少期は「うつけ者」とされていましたが、大人物に成長。この辺りの過程も、織田信長と通じるところがありますね。 ・自身が出陣した戦では無敗。顔面には向こう傷二ヶ所と体には刀傷七ヶ所が刻まれていましたが、その背中には一切の逃げ傷無し!(←白ヒゲか) ・江戸期には、日本の戦国七雄(毛利元就・今川義元・北条氏康・武田信玄・上杉謙信・織田信長・豊臣秀吉)の一人に数えられた。 →徳川家康が入っていないのは、敢えて名前を入れるのを遠慮をしたのではないかと。だって、『自画自賛』みたいで恥ずかしいじゃない。 →今川義元は戦下手のように思われていますが、実際は「海道一の弓取り」との異名も。元々は徳川家の盟主だったので、その名を立てる意味もあるかも知れませんね。 ・その善政で民衆に広く慕われ、氏康の死が小田原の城下に伝えられると領民は皆泣き崩れ、その死を惜しんだ。 ・徳川家康が小田原攻めの後で豊臣秀吉から当地を領した時、住民はいつまでも北条家を慕って実にやりにくかったという。 ・南禅寺の僧・東嶺智旺は、その傑物ぶりを「太守氏康は、表は文、裏は武の人で、治世清くして遠近みな服している。まことに当代無双の覇王である」と高く評価している。 ・とにかく逸話の多い人物です。要約しますと、何でも出来ちゃうスゴイ人! ・ちなみに、河越(川越)城は私のウチから車で20分くらいです。河越城は元より、「お宝発見!」にもよく行きますよ!
by nekonekokoara
| 2011-06-18 12:00
| 歴史小説
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Comments(2)
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不如帰2
at 2011-06-21 00:35
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私も大河ドラマ風林火山で中條きよし扮する北条氏康が川越夜戦に勝つシーンを見て、城下町見物も兼ねて川越に行きましたが今は川越高校の校舎がありウォーターボーイズゆかりの水泳部の方が有名と言う…正に肩透かしを食らいましたが風情ある良い町並みでした。関ケ原後に家康は今川氏真には旗本待遇で劣等感からか品川に改名させその周辺に領地を与え、旧今川人質仲間の北条氏直には河内1万石を与え、織田信長実弟の有楽斎には文字どおり有楽町の一等地に屋敷を与えるなど旧友・旧宗主には配慮を欠かさない家康の性格が見て取れます…。
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nekonekokoara at 2011-06-21 18:32
●不如帰2さん
川越城は「厳かな雰囲気な場所にあるのかな~」と思って行ってみると、 そのギャップに驚きますよね。川越高校の他に、野球場&駐車場もありますから。 でも、美術館は昔らしいデザインで建てられていたのは良かったですね。 仰る通り、町並みは本当に風情があり、 蔵造りの建物などを見ているとその時代にタイムスリップした気分が味わえるかと。 >旧友・旧宗主には配慮を欠かさない家康の性格が見て取れます… 今ちょうど故司馬氏の「司馬遼太郎が考えたこと」の「家康について」を読んでいるのですが、 徳川家康の非凡な才能に改めて感心しています。 軍略は武田&上杉に及ばず、政略は織田&羽柴に及ばなかった家康が天下を取れたのは、 その「律儀」という当時奇跡に近い才能を持っていたからだという言葉に頷かされます。 個人的には、鎖国をしてしまった事で私の家康像はあまり良くないのですが、 それでも家康は天下第一等の人物だったと思わずにはいられないですね。 有楽町=有楽斎は、豆知識で出すと結構感心されるので、よく使います(笑)。
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